2014年2月25日火曜日

STREET POET by ARTHUR KITCHENER

FAカップ準決勝、MILLWALLの試合のチケットとひきかえにベースギターは売ってしまって もう持ってないんだよ




ニューアルバム STREET POET は,


わたしの最終プロジェクトであり

ずっと温めてきた 究極のアルバム。

製作レヴェルに関しては フィルスペクターや

ビリーアイドルの作品とも遜色ないレヴェルの
パンクというよりは、ロックアルバムだ。


p_ STREET POET はつまりあなたのこれまでのR&Rセンスや知識を全て注ぎ込んだプロジェクトだと
思いますが The Originalsとして または Saxbyや Roi Pearceたちと つまりSKAやPUNK ROCKで遣り残し
たことはありませんか?
AK_ Moonska  がとんでもないはした金で Arthur Kay & The Originalsのバックカタログを Cherry Red 
に売り払い あげくいっこうに 再発される気配もない クソったれめ!
2011年に地元Kent州でのギグを最後におれたちはバンドを解散したメンバー達は各々ほかのバンド
で活動してる グッドラックを願うね
いまだにパンクへの愛はかわらないしRoi とSaxbyは おれにとっては兄弟のようなもので これからも
ずっとそうだ
p_ 作品の質を喩えるのにフィルスペクターをひきあいに出すのはわかりやすいですが 
また何ゆえにビリーアイドルでしょう
AK_ ビリーアイドルの作品のプロダクションレヴェルは素晴しいぜ White Weddingなんて 最高に
キラートラックじゃないか!




p_あなたは永い間 Arthur Kay名義で活動されてましたが ACOUSTIC WARRIOR アルバムから 本名の 
Arthur Kitchenerを名乗っています 何か 特別な理由があるのでしょうか
AK_ Kitchener は私の父方の姓で、父は1942年の大戦ではシンガポールに赴任してそれから 
死の鉄道 として知られる Burma Railway での労働に従事した 何人かの 酷い番人をやっつけた
勇敢さで知られたそうだよ 私が 生まれて18ヶ月で父はこの世を去った 
ねずみの排泄物の混ざった水を飲まざるを得なかった戦地での経験で重い病気にかかっていたからね
そんな Kitchener姓に私は誇りを持って名乗っているし Arthur Kayとはもう名乗ることはないだろうね
p_  Kayの由来はどこからきていたのでしょう?
AK_昔サウスロンドンのご近所さんから ハローミセス Kとよく母が呼ばれていたことからだよ
たんに Kitchenerの頭文字から K と。
p_ ACOUSTIC WARRIOR アルバムには元Rancid、Old FirmのLarsが参加しています
どういった経緯からでしょう
AK_ Larsからアプローチがあった、私と何か 一緒に製作したかったと云ってたね
彼はいまでも 時々 Millwallの試合に来るよ

 
p_ あなたの著書 Watching The Rich Kidsによりますと、60年代 モッズバンド Next Collectionを
脱退した後スタジオミュージシャンベーシストとしてTrojanの仕事をいくつかしたとありますが 
どのセッションか憶えてますか
AK_ Emil Shallitの Melodiscと似たり寄ったりなインチキ商品のためにやったセッションのことは
もはや記憶にないな。
Ricoと共演した Dennis Couldryの James In The Basementという しょうもないシングルが
最初のセッションだよ

p_ 十数年ほどまえから あなたはタクシーの運転手をしておられますよね
タクシー仕事はとにかく長時間の勤務で 作曲する時間などもままならないと
思うのですが 
あなたはここ数年で ソロアルバムを数枚発表していますね
AK_ タクシーは金を稼ぐためだけに乗ってる、 当時わたしはコカインとそれから飲酒に又 はまって
しまい全てを失くした。今は 10年以上クリーンでシラフの生活だけど、自分の人生を取り戻すために
闘わなければならなかった 神様と本当の友達たちがいなかったら無理だっただろうね

p_ オリジナル・モッドとして60年代のシーンに関する思い出などを
AK_ とにかくThe Whoだね。 ロッカーズのいでたちの彼らをReady Steady Go! で初めて観たときから
大ファンだ。 モッズバンド Next Collectionの頃、モッドのみてくれのわたしはスクーターにまたがり
仕事に向かったものだったけど、ハートは常に ロッカーズのそれだったね  59 CLUBにいたころと同じ
p_  昨年のFA CUP準決勝 ミルウオールvsウイガン戦のチケット購入資金捻出のために ベースギターを売却
したエピソードは、やはり究極の FOOTBALL or ROCK’N’ROLL 英国的エピソードだと思います 
1999年に そのミルウオールの応援歌をリリースして 2004年のFA CUP決勝ではスタジアムで曲がかかりましたね
AK_ 昨日(インタビュー時2013年9月)の勝利も最高だったよ!おれたちは3-1でBlackpoolをやっつけた!
Roiやほかの友達みんなにも会ったしね。
Let’Em Comeを演れたことは最高だった わたしの親友たちは皆ミルウオールだからね
みんな 旧きよき スピリット・オブ・ブリッツ にガッツ を併せ持った連中なんだ
ベースを売り払ったことに後悔はないけど ギグできないことだけには苛ついたものだけどね




p_ 最初のトゥルー Oi! ムーヴメントの最年長者として 当時の思い出などを
AK_ パンクは音楽業界で起こった ベストの出来事だったと思う ロックンロールのルーツを取り戻した。
おれたちは WORKING CLASS KIDSという曲で そういった Oi!やパンクについて歌った 素晴しい思い出だよ


p_1998年 THE WARRIORSとして来日公演をおこなった 大阪と京都での思い出を
AK_ 大阪 も京都も素晴しかった。このツアーで留守したためにその当時の職を失ったけど
それでも良かった。もう一度やり直すことができたとしても全く同じことをするしね。
p_ ぼくはとくにあなたのMade In Englandという曲が好きなのですが 簡単な解説をいただけますか
AK_ Made In England は わたしの人生の捉え方そのものだとおもう
わたしのような人間にとってはボクシングかフットボールかロックンロールだけが成就の方法だった
Dionを初めて聴いた日から始まったR&Rと、Millwall FCへの愛情がわたしの人生の二本柱として
常に太く在る。わたしは父親を 君たちの国、日本との戦争で失くし、父は彼のジェネレーション同様、
自由のために戦った。母は戦争遺族年金という雀の涙ほどの手当てでわたしを育ててくれた 
ろくでもないやつらが支配する国に生きている
p_ あと何かコメントがあれば
AK_ 日本に行ってまたプレイできるのをいつも願っている ギター一本とわたし一人か
THE LORDS OF LONESOMEという新バンドを始めたから そっちの楽団でか よろしく頼むよ!



Street poet is now avalable on cd from my website   

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